うちそとブログ

うちそとの「うち」ブログ~0014:幸せは感謝のあらわれ

こんにちは。

【うちそとの「うち」ブログ】

松本エリハです。

 

 

大人になりずいぶん経ち、分別もついて年を取ると

お世話になった方や大好きな方が突然世を去ってしまう

なんていう出来事にも出くわすものです。

 

もちろんそのたびに悲しく寂しい気もちになるのですが、

申し訳なく悔しく不甲斐ない気もちが次第にふくらんで

押しつぶされそうになった時期がありました。

 

 

間に合わなかった

 

 

そう感じたのです。

 

 

そのうち、

そのうちきっと、

必ずきっと、

褒めてもらえるようなひとかどの人間になって

「よかったなあ」

「よくやったなあ」

喜んでほしいんだけど、

まだちょっと

いやまだもうちょっと

これが終わったら

あれが片付いたら

と、

いつかいつかと思っているうちに

間に合わなかった。

 

 

喜んでもらいたかったけど

間に合わなかった。

 

 

間に合わなかったのは、

私がぐずぐずしてたからだ

何でぐずぐずしたんだろう

ごめんなさい

ごめんなさい

何にもなれなくてごめんなさい

間に合わせられなくてごめんなさい

と、

言っても届かないことを繰り返していました。

 

 

ある日。

洗った髪をバスタオルで拭いて乾かしている時に

気付きました。

 

 

私が幸せになることで、喜んでもらえるのかもしれない。

 

 

思いがけず早くに旅立ってしまった人たちは

もしかして、

私が何ものかになること

なんて望んでいなかったんじゃないか。

 

 

私が毎日喜んで、楽しんで、笑って、慈しんで、

安心して、爆笑して、熟睡して、

ああ。生きているなあ。

と、

心の芯から祝福している毎日を

望んでいたんじゃないだろうか。

 

 

とすると。

私ができることは、

どこを切っても幸せでいつづけること

かもしれない。

 

 

てことは。

私が幸せに生きることで

そうした人への恩返しができるのかもしれない。

それだったらやってみよう。

その人たちに喜んでもらえるのなら、幸せに生きてみよう。

そう思いました。

 

 

それが今日のタイトルです。

 

 

私が幸せになることは、誰かに感謝の気持ちを伝えるため。

そもそも褒められるのが苦手で、

受け取るのが下手で、

照れ隠しばかり上手くなっていましたから

ちょっとねじりを加えないことには落ち着かなかったのです。

 

 

「幸せは感謝のあらわれ」

 

 

心のアニキ(笑)、吉野リョータさんに書にしていただいたのはもう一昨年のこと。

今も大好きな名嘉睦稔さんの版画の前に飾って見ています。

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【「うち」なることばvol.14】
「私が喜ぶと、喜ぶ人がきっといる。」